『みんなの憧れ!トルコ行進曲』
≪有名な2つのトルコ行進曲≫
トルコ行進曲と言えば、2つの有名なあの音楽が浮かびますよね。
1つ目は、ベートーヴェンの劇付随音楽「アテネの廃墟」の行進曲。
「ソーミミミ、ソーミミ ミ レドシラソ・ファ ミ・ファ・ソー」というやつです。
簡単バージョンの楽譜も出ているので、ピアノを始めたばかりの生徒さんが、発表会で弾くことも多いですね。
軽快なリズムでありながら、音楽的展開がエキゾチックで、子供たちに大人気です。
そして、2つ目。ソナチネを終え、ソナタアルバムを勉強し始めた生徒さんが、「一度は弾きたい!」と思うのが、モーツァルトのピアノソナタ第11番の3楽章!
「シラソラド レドシドミ ファミレミ・シラソラシラソラド」
ピアノ曲としても素晴らしいですが、由紀さおりさん・安田祥子さん姉妹の「トルコ行進曲」は軽快で楽しいですよね。
この曲はなぜか、小学生の男の子に人気で、ピアノを習っていないクラスの男子の間で、「シラソラド レドシドミ ファミレミ・シラソラシラソラド」の出だしを、どれだけ速く弾けるかが流行ったという話も聞きました。
さて、ピアノ愛好家にも、一般の人々にもなじみの深い「トルコ行進曲」。
どうしてモーツァルトもベートーヴェンも西欧の人間なのに、トルコという名前が付いた音楽を作曲したのでしょうか?
それは、中央ヨーロッパの領土争い((特に1683年の第2次ウィーン包囲)と深い関係があります。
13世紀末から20世紀初頭にかけて栄えた「オスマン帝国」が、ヨーロッパ進撃を行いました。
なぜ、この進撃が、「トルコ行進曲」と関係があるのか?
そのお話をするには、オスマン帝国について多少なりとも知っておく必要があります。
≪オスマン帝国について≫
オスマン帝国は、1299年にオスマンが興したトルコ系イスラム国家です。
1453年にメフメト二世が東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを征服して、そこに遷都しイスタンブールと改名します。
この頃スルタンの館「トプカプ宮殿」や市場である「グランドバザール」が作られ、それまでキリスト教会だった建物をイスラム教徒のモスクに作り変えるなどして、イスラム教の都市へ改造していきました。
第10代スレマン一世の時、全盛期を迎え、西アジアから東ヨーロッパ、北アフリカの地中海沿岸地域の三大陸に及ぶ広大な国土を支配して、かつてのローマ帝国に匹敵する領土を治める隆盛を極めました。
1529年ハプスブルグと対立していたフランスのフランソワ一世と同盟し、ウィーンを1ヶ月包囲しました。2回目の包囲は長期化を避けて撤退したので失敗に終りました。
が、女性や少年達をさらっていくなどしてヨーロッパキリスト教世界に大きな脅威を与えました。
後に、ローマ帝国と同じように巨大になり過ぎた領土を維持するのが難しくなり、徐々に衰退し第一次世界大戦では同盟国側にたって敗れ、1922年トルコ革命によって滅亡しました。
≪オスマン帝国とトルコ行進曲の関係≫
オスマン帝国は行軍の時に「メフテル」と云う軍楽隊を引き連れていく事が多く、この軍楽隊が奏でる独自のリズムとメロディーは当時のヨーロッパの人々に大きな衝撃を与えました。
「メフメル」による軍楽は、打楽器が一定のリズムを終始繰り返し展開するのが特徴で(ジャーンジャーンジャーン・ダ・ダなど)それらに影響を受け、その独自のリズムをピアノ曲等に取り入れたのがモーツァルトとベートーヴェンの「トルコ行進曲」なのですね。
昔、向田邦子さんの「阿修羅の説く」というドラマが放送されたのですが、その時の導入にトルコの軍楽隊の有名な音楽「ジェッディンデデン」が使われていました。
「あの音楽が行進して迫ってきたら、かなりインパクトがあって当時のヨーロッパの人々は、さぞや怖かっただろうなあ」と強烈な印象を受けたことを覚えています。
この「トルコ行進曲」の特徴は、打楽器とラッパの多様があり、大太鼓やシンバル、トライアングルなどの打楽器やトランペットなどが多用されます。
一部のピアノにも、似たような音響効果を狙ったペダルが備え付けられているものもあります。このピアノの音源を以前、講座で聴いた事があったのですが、ちょっと笑える演奏でした。
余談ですが、オスマン帝国の第2次ウィーン包囲が失敗して、あわてて逃げ帰った彼らの塹壕に残されていたコーヒー豆が、ウィーンでコーヒーが飲まれるようになったきっかけだったそうです。
私達が、今おいしいコーヒーが飲めるのも、オスマン帝国の敗退のお陰だったのですね。