『交響詩について』
♪交響詩の始まり♪
「交響詩」という音楽のジャンル、音楽愛好家なら一度は耳にしたことがある言葉かもしれませんね。
これは、文学、芸術、演劇作品など音楽外の詩的、絵画的な内容を表現する管弦楽曲のジャンルです。
「標題音楽」が盛んに作曲されたロマン派を特徴づける管弦楽曲の形です。
(*「標題音楽」とは、音楽外の概念や心象風景を聞き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気いったものを描写した器楽曲。対義語で「絶対音楽」は音楽外の世界を参照せずとも鑑賞できるように作曲された音楽作品)
「交響詩」は、それまでも何人かの作曲家たちによって手掛けられてきましたが、19世紀中ごろ、リストが新たに「交響詩」というネーミングをして確立させたのが始まりとされています。
リストは、ヴィクトル・ユゴーの叙事詩に感銘を受けて作曲した超絶技巧練習曲第4番「マゼッパ」というピアノ曲をもとに、後に、「交響詩」第6番の「マゼッパ」を作曲。
「マゼッパ」は、一人オーケストラと言われる楽器のピアノの曲ですが、さすが、大編成のオーケストラで演奏されると迫力が増した感があります。
彼は1882年までに13曲の「交響詩」を作曲しました。
♪「交響詩」を確立させたリストの後継者♪
「交響詩」というジャンルを確立させたリストの後継者としてリヒャルト・シュトラウスが挙げられます。
彼は1864年バイエルン王国のミュンヘンで宮廷歌劇場の首席ホルン奏者の子として生まれました。
彼の作品はシューマン、メンデルスゾーン風のかなり保守的なものでしたが、ヴァイオリン奏者でワーグナーの姪と結婚したアレクサンダー・リッターに出会ったことで、ワーグナーの盟友であるリストの革新的音楽に感化されることになります。
1889年初演されたニコラウス・レーナウによる「ドンファン」は出世作として大成功を収めます。
それ以降、1895年作曲、ドイツ民話による「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」・ニーチェの哲学書による「ツァラトゥストラはこう語った」・セルバンテスによる「ドン・キホーテ」など、大規模な管弦楽を用いてリストの「交響詩」の概念を拡大しました。
1898年に「交響詩」としては最後の作品で、従来の文学的な標題音楽から離れた個人的なテーマによる「英雄の生涯」があります。
♪R・シュトラウス以外の作曲家たち♪
フランスにおいては、サンサーンスの「死の舞踏」、ドビュッシーの1891年作曲の「牧神の午後への前奏曲」はマラルメの詩による点は交響詩的ですが、内面の表現ではなく、印象や雰囲気を暗示する新しい「標題音楽」と言え、「海」もそれに当てはまります。
ラヴェルもハプスブルグ家の繫栄と衰退を描いた舞踏詩「ラ・ヴァルス」を作曲しています。
そして、みんな大好きなディズニー映画にもなった「魔法使いの弟子」はデュカスの作曲ですね。
ロシアにおいては、チャイコフスキーがダンテの「神曲」による幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」を作曲し、ボロディンの「中央アジアの草原にて」があります。この曲は、昔は学校の音楽の鑑賞曲でした。
東欧では、オーストリアハンガリー帝国の支配下だったチェコのスメタナの「わが祖国」の中の「モルダウ」は単独でも演奏され有名ですね。
また、北欧のロシア帝国の支配下にあったフィンランドのシベリウスは、フィンランド叙事詩「カレワラ」による「レンミンカイネン組曲」や「フィンランディア」など多くの「交響詩」を作曲。
最後に私の大好きな国、イタリアでは、ローマの歴史や遺跡などをテーマにしたレスピーギの「ローマ3部作」、「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」があります。
このように、後期ロマン派の作曲家に好まれた「交響詩」も、近現代では描写表現は重要ではなくなり、作曲されなくなりました。
今回、「交響詩」についてまとめてみて、R・シュトラウスの「英雄の生涯」やラヴェルの「ラ・ヴァルス」など私のお気に入りのオーケストラ曲がことごとく「交響詩」であったことが判明。
オペラ大好き、ミュージカル好きという、”音楽にも演劇的なストーリーが存在するものが好き”という私の好みがはっきりして納得した次第です。